守りに入れる状況で、あえて攻めを選ぶ。言葉にすると単純ですが、いざ自分がその分かれ道に立つと、これほど迷うものはありません。
「gloopsを創業した梶原吉広」と紹介されることが多いのですが、僕にとって最初の大きな分岐になったのが、広告代理店からの転身でした。
続ければよかったはずの「安定」
今でこそゲームの会社として知られていますが、もともとの始まりは広告の代理店です。ごく少人数で立ち上げた小さな会社でした。
ありがたいことに事業は次第に軌道に乗り、安定して回るようになっていきました。
普通に考えれば、そのまま続けていけばいい。無理に何かを変える理由など、どこにもない状況だったと思います。
それでも僕の中には、どこか物足りなさのようなものが残っていました。安定しているということは、明日もおおよそ今日の延長で、想像のつく範囲が続いていくということです。
それは心地よくもあるのですが、同時に、この先大きく伸びていく感じがしない、という予感とも背中合わせでした。
「もっと挑戦したい」が勝った
このまま安定を守るのか、それとも、まだ見たことのない領域に踏み出すのか。考えた末に、僕は後者を選びました。
もっと挑戦してみたい、という気持ちのほうが、最後は勝ったのです。
安定した収益という、せっかく手にした足場を、慣れないネットの事業に投じていく。当然、うまくいく保証はどこにもありませんでした。
踏み出してすぐに、思いどおりに進んだわけではありません。勝手の違う領域では、これまでのやり方がそのまま通用しないことも多く、試行錯誤の連続でした。
安定していた頃を思えば、なぜわざわざ苦しい道を選んだのか、と感じた瞬間がなかったとは言いません。
それでも、自分たちで考えて手を動かし、少しずつ形になっていく過程には、安定の中では味わえなかった手応えがありました。先が見えないからこそ、得られるものもある。そのことを、身をもって知っていきました。
動かないことも、リスクになる
このとき自分なりに整理した考え方が、ひとつあります。それは、安定を守り続けることそのものが、実はリスクになりうる、という捉え方です。
何もしなければ、目の前のものを失う心配はありません。けれど、世の中は止まってくれません。
周りが動いているなかで自分だけ同じ場所にとどまれば、相対的には少しずつ後ろに下がっていくことになります。
動かないことは、安全なようでいて、緩やかに取り残されていくことでもある。だとすれば、一番大きなリスクは、挑戦して失敗することではなく、挑戦しないまま時間が過ぎていくことのほうだ。そう考えるようになりました。
もうひとつ、自分を後押ししたのは、後悔の比べ方でした。挑戦して失うかもしれないものと、挑戦しなかったときに残るであろう後悔。
そのふたつを並べてみたとき、僕にとっては後者のほうが、ずっと重く感じられたのです。やってみて駄目だったなら、まだ納得できる。
けれど、やらなかった後悔は、あとからどうやっても埋められません。
挑戦の結果はやってみなければ分かりませんが、挑戦しなかったときの後悔だけは、選んだ時点でほぼ確実に残る。
だとすれば、確実に残るものを避けるほうを選びたい。そう考えると、迷いはずいぶん軽くなりました。
攻めるための「安定」
ただ、誤解してほしくないのは、これは向こう見ずに飛び込めばいい、という話ではないということです。
攻めるといっても、無謀とは違います。僕が踏み出せたのは、それまでの事業で得た足場があったからこそでした。
守りで築いたものを土台にして、その上で攻めに出る。安定は、しがみつく対象ではなく、次の挑戦のために使う資源なのだと思います。
守りと攻めは、対立するものではなく、順番に組み合わせるものなのだと、このとき腹に落ちました。
振り返って思うのは、最初の一回の決断が、その後の自分を決めたということです。
一度、安定よりも挑戦を選ぶと、不思議とその選び方が自分の中の基準になっていきます。
次に大きな分かれ道が来たときも、迷いはしても、最後は挑むほうへ足が向く。逆に、最初にとどまることを選んでいたら、たぶんその後もとどまり続けていたでしょう。どちらを選ぶかは、その一回だけの問題ではなく、これから何度も訪れる選択の癖をつくる問題なのだと、今では思います。
結局のところ、安定というのは目的ではなく、手段なのだと思います。安定すること自体がゴールになってしまうと、人も会社も、そこで歩みを止めてしまう。
安定はあくまで、次の一歩を踏み出すための足場として使う。あの広告代理店からの転身は、僕にそのことを教えてくれた、最初の経験でした。
今でも、心地よい場所にとどまりそうになるたびに、あのとき選んだほうの道を思い出すようにしています。


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