会社というのは、規模が変わるとまるで別の生き物になります。僕がそれを一番痛感したのは、人が一気に増えた時期でした。
経営者・梶原吉広として、いちばん鍛えられた時間だったと思います。
「渋谷クエスト」をMobageでリリースした2010年の春、会社はまだ10人ほどの小さな所帯でした。
それが1年半ほど経った頃には、150人を超える規模になっていました。
社名も以前のものからgloopsへと改め、オフィスも手狭になって広いフロアへ移りました。数字だけ見れば華々しい成長ですが、内側にいる人間からすると、毎月のように景色が変わっていく、足元の定まらない時間でもありました。
全員が見えていた頃の終わり
10人の頃は、全員の顔も、いま誰が何をしているかも、見渡せばすぐに分かりました。
込み入った相談も、僕がその場で聞いて、その場で決めればよかった。ところが人が増えてくると、それができなくなります。
誰が何に困っているのか、どこで判断が止まっているのか、自分の目では追いきれなくなる。創業期にうまくいっていたやり方が、ある日を境に通用しなくなるのです。
情報の流れ方も、作り直す必要がありました。10人なら、わざわざ仕組みにしなくても、話は自然と全員に伝わります。けれど人が増えると、放っておけば情報は途中で止まり、同じことを別々の場所で議論していたり、決まったはずのことが現場に届いていなかったりする。誰に何が伝わっていれば組織が動くのか、その通り道を意識して設計しなければ、人数が増えた分だけ無駄も増えていきます。創業期には考えもしなかったことに、頭を使うようになりました。
手放すという決断
このとき僕が迫られたのは、何を手放すか、という決断でした。
それまでは、大きな判断も細かな判断も、できるかぎり自分で握っていました。けれど規模が変わると、その握り方こそがボトルネックになります。
自分が全部を見ようとすればするほど、組織の動きは僕のところで詰まってしまう。だから、判断を人に渡していくしかありませんでした。
正直に言えば、これはとても怖いことでした。任せれば、自分が下したのとは違う結論が出ることもある。失敗もする。
それでも、任せなければ組織は大きくなれません。人に渡すというのは、相手を信じるという意思表示でもあります。怖さを呑み込んで渡してみると、こちらが思っていた以上のものを返してくれることのほうが、ずっと多かった。
自分自身が変わるのも、簡単ではありませんでした。手を動かして自分で作るほうが、僕にとっては慣れた仕事です。
けれど人が増えてからの僕の役割は、自分で動くことよりも、人が動きやすい状態をつくることに移っていきました。
最前線から一歩引くというのは、性に合わない部分もあり、寂しさもありました。それでも、自分がいなくても回る形をつくることこそが、その時期の自分の仕事なのだと、少しずつ受け入れていきました。
手放してはいけない芯
一方で、これだけは手放してはいけない、と決めていたこともあります。
それは、自分たちが何を大事にして、どこへ向かおうとしているのか、という軸でした。
判断を人に委ねるからこそ、その判断の拠りどころになる基準は、はっきり言葉にして共有しておかなければならない。
任せることと、放り出すことは違います。基準のない委任は、ただの丸投げです。
向かう先さえ揃っていれば、やり方は任せられる。逆にそこがぶれていると、優秀な人が増えるほど、力はバラバラの方向に分散してしまいます。
人を採るときも、考え方は同じでした。もちろん技術や経験は大事です。けれどそれ以上に、同じ方向を一緒に見られるかどうかを、僕は気にしていました。
急いで大きくしたい局面ほど、数を揃えることに気を取られがちです。でも、そこで方向の合わない人が増えると、後になって組織全体がきしんでくる。
急成長というのは、聞こえはいいのですが、土台がそれに追いつかなければ、いつか必ずどこかが軋みます。
数字が伸びているときほど、浮かれずに、足元が伴っているかを見ておく必要がありました。
人が増えるスピードに、文化や仕組みが追いついているか。新しく入った人が、戸惑ったまま放置されていないか。伸びている最中こそ、そうした見えにくいところに目を配るのが、上に立つ者の務めだと感じていました。勢いがあるときの判断ミスは、後から響いてきます。
変わるべきは、経営者自身だった
結局のところ、規模が変わるときに一番変わらなければならないのは、経営者自身なのだと思います。
昨日まで正しかった自分のやり方を、自分で手放す。手放しながら、譲ってはいけない芯だけは握り続ける。
その両方を同時にやることが求められました。今でも、何かを大きくしようとするときには、あのときに学んだ二つの感覚を思い出すようにしています。


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