一度かたちにしたものを、惜しまずに捨てて、作り直す。経営をしていて一番勇気がいる判断は、案外こういう場面に潜んでいます。
「梶原吉広」という名前で仕事をしてきたなかで、その原点のひとつになったのが、最初のヒット作となった「渋谷クエスト」の作り直しでした。
はじめは、ちがう形だった
このゲームは、もともと今のような形ではありませんでした。最初に構想していたのは、家庭用のRPGを強く意識したつくりです。
渋谷を舞台に、敵を倒し、倒した相手をコレクションしていく。当時の自分たちの頭の中には、しっかり遊べるゲームを作ろう、という発想がありました。
ゲームである以上、ゲームとしての面白さや作り込みは必要だ、と。その方向で、それなりに形になりつつもありました。
考えが大きく変わったのは、当時世に出ていたある作品を、自分で遊んでみたときです。DeNAさんの「怪盗ロワイヤル」でした。
実際に触れてみて、触れてみて、これは大きく変えなければならない、と考えました。
もともと信じていた方向へ、振り切る
もともと僕は、ゲームを人と人とがつながるためのコンテンツだと考えていました。
ただ、ゲームである以上、遊びとしての作り込みもある程度は要るはずだ、、、。その思いも捨てきれず、どこかで両方を追っていたのだと思います。
怪盗ロワイヤルに触れて見えてきたのは、つながりそのものを中心に据えても、人はこれほど夢中になれるということでした。自分が信じていた方向を、中途半端にせず振り切っていい。むしろ振り切るべきなのだと、背中を押された気がしました。
ここで僕の前に、ひとつの判断が突きつけられました。すでに作りかけていたものを、このまま完成させて世に出すのか。それとも、根っこの考え方から作り直すのか。
捨てられない、という気持ちと向き合う
作ったものを捨てるというのは、簡単なことではありません。そこには費やした時間があり、人の労力があり、何より愛着があります。
人は自分が手をかけたものほど、惜しくて手放せなくなる。もう少し直せば使えるのではないか、ここまで進めたのだからもったいない。そういう気持ちが、どうしても判断を鈍らせます。
それでも僕は、作り直すことを選びました。決め手になったのは、ひとつの問いの立て方でした。すでにどれだけ費やしたか、ではなく、これから先、ユーザーが本当に求めるものは何か。判断の基準を、過去にかけたコストではなく、これから向かう先に置く。そう考えると、答えははっきりしていました。
すでに使った時間は、もう戻ってきません。それを惜しんで間違った方向に進み続けるほうが、はるかに大きな損失になる。
難しかったのは、自分が腹をくくることよりも、それを一緒に作ってきた仲間に伝えることのほうでした。みんなが時間をかけて積み上げてきたものを、方向ごと変えると告げるわけです。それまでの努力を否定するように響いてしまわないか、迷いもありました。けれど、ここで言葉を濁したり、中途半端に折衷案でまとめたりすれば、結局どっちつかずのものになる。
だから、なぜ変えるのか、何を目指すのかを、できるだけ正直に、はっきりと話すようにしました。理由が腹落ちすれば、人はちゃんと前を向いてくれる。そのことも、このとき学びました。
ひとつ補っておきたいのは、何でもかんでも捨てればいい、という話ではないということです。
すぐに投げ出すことと、見極めて方向を変えることは、まったく別物です。
大事なのは、何を信じて、何を手放すのかをきちんと切り分けること。守るべき芯はぶらさず、手段やかたちには執着しない。このときも、ユーザーのつながりを生むという目的は最初から変わっておらず、変えたのはそこへ至るやり方のほうでした。芯が定まっているからこそ、表面のかたちは思い切って捨てられたのだと思います。
早く気づき、早く向きを変える
そうしてコミュニケーションを軸に据え直して作り変えたところ、反響は自分たちの想像をはるかに超えるものでした。
配信を始めるとすぐに人が押し寄せ、サーバーが追いつかずに落ちてしまったほどです。あのとき作りかけのものに固執して、そのまま出していたら、この結果はなかったと思います。
この経験から学んだのは、捨てる勇気の大切さでした。間違った方向に気づいたなら、できるだけ早く認めて、早く向きを変える。気づくのが遅れるほど、積み上げたものは大きくなり、捨てるのはどんどん難しくなっていきます。だからこそ、まだ引き返せるうちに、冷静に判断しなければならない。
今でも何かを手がけるたびに、僕は自分に問いかけます。これは本当に必要だから続けているのか、それとも、ここまでやったからという未練で続けているだけではないか。過去への執着と、未来への判断を、混ぜないこと。あのとき渋谷クエストで下した決断は、その後の僕の考え方の、ひとつの土台になっています。


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